甘熟甘懐。

バレンタイン2010(1/3)

右を見て。左を見て。もう一度右を見る。
よーし。誰も、いない。
…あぁでも不安だな。もう一回確認しようかな。
はいもう一度~。
右を見て。左を…。

「ねぇ。そろそろ中入っていー?」

どうしても踏ん切りがつかなくて。
庭へと続くガラス張りの扉から顔だけ出してあわあわしていたら、洗濯籠を小脇に抱えた黒いエプロン姿の男が、いつの間にか目の前に立っていた。
さっすが元とは言え、オーラローグ…。全く気配を感じなかったぜ。
それは俺が小者だからだろうなんて突っ込みはあーあー聞こえない聞こえない!

「ま、ままま!」
「うん。オレの名前はママじゃないよぉ? ちゃんと伸ばし棒入れてねー。はい。りぴーとあふたみー、マーマ。」
「ま、マー、マ…。」
「よぉくできましたぁ。」

そう言って満面の笑みで頭を撫でてくる。
どうしてこう、この寮の人は俺の頭を気安く撫でるんだろう。
…気持ちいいから別にいいんですけどね。
でもなんか、ガキ扱いされてるみたいで悔しいじゃないか。

っとそんなことはどうでもいい。
向こうから話しかけてきてくれたのなら話は早い。
これからの時間帯、人は増えていくばかりだろうから…。まばらな今のうちだ。聞きたいことは聞いてしまわないと。
するりと隣を通り抜けた、その後を追う。
家事の最中だろうから、邪魔にならないように、なるだけ手短に…。

「ケイケイ。そうやってぴょこぴょこ後ろ付いてこられると、ひよっこみたいで可愛いんだけどねぇ? オレに何かご用なのー?」
「ひよっ…!?」

ええい成人間近だと言っとろーが!
大人の男相手にひよことか可愛いとか絶対間違ってますから。
と、この寮で生活するようになって数ヶ月経つけれど、未だに人見知り状態から抜け出せない俺はなかなか言い返せない。
うう。どうしてこう情けないんだ。
ソファに腰掛けて籠を下ろし、膝の上で丁寧に折りたたまれてゆくシャツを睨むように眺める。
でも鼻歌混じりに分類を済ませる男は、そんな視線に気付いていても手を止めることなく、流れるような作業を終えていく。
…ところでその、レースのひらひらした、やらしい下着は…。

「ぶっ。」
「ウブだねぇケイケイ。お察しの通りローグのお姉さんたちの肢体を包んでいたランジェリーだけどねぇ? これがオレのお仕事だからー。」

噴き出して思わず視線を逸らした俺に、なんてことはないように言う。
どうしてここの人は下着も自分で洗えないんだろうか!
いや、俺も流れで頼んじゃったから、人のこと言えないんだけどさ。
でもだからってお姉さんたち…、下着は…各自でお願いしますよ……。

「あ、それ。や、やる!」

布の群れの中から一回り小さなトランクスが選び出された。
俺くらいの小柄なローグさんもいるが、でもこれは明らかに俺のだ…見覚えありすぎる。
突っ立っているだけではどうしようもなくておろおろしていたので、ちょうどいい。
チャンスとばかり隣に腰掛け、自分のとコウさんのを選って畳んでいく。…それ以外の人の衣服を畳む勇気なんて、俺にあるはずないだろ!

あ、ここまでつらつら語ってきたが、そう言えば目の前の兄さんの紹介をしてなかった。
さっきちらっと出てきたが、名前から改めて発表しよう。
冒険者登録名、マーマ。前回のローグ祭りを最後に制服を脱いだ元オーラローグで、今は寮の家事を一手に担っている世話好き兄さんだ。
元と言っても冒険証は返してないようだから、一応まだ冒険者みたいだが。
あぁ俺発光したことなくて、ずっと“オーラは噴いたまま”だと思ってたんだけど、どうやらそうじゃないらしく。
こう、出したり引っ込めたりできるんだって。だから今マーマさんは普段着だし、オーラはないしで、まるで一般人のように過ごしている。
私服着用時のスキル使用が御法度なだけで、それ以外はわりと自由なんだなぁ。と、この人を見ていろいろ学びました。

「で、どうしたのぉ? お手伝いしたかったのー?」

しばし無心でシャツと格闘していると、マーマさんにニコニコ笑顔で顔を覗きこまれた。
そ、そうだ。早く言わないといけないんだった。
決心が鈍らないうちに。早めに!
ようし、まずは…深呼吸だ。
すーーーはーーーーー。

「あ、あの!」
「そんな緊張しなくていいのにぃ。」

台詞ががっつりかぶりました。
吃驚しちゃって赤面してお口パクパク。
だーかーらー! 情けなさすぎるだろう俺!

「あはは。ごめんごめん。なぁに? 何でもお兄さんに言ってごらんー?」

うー…。
頭を再度撫でられ、心地よくて悔しいです。
えーっと、では。
気を取り直しまして。

「あ、の。」
「うんうん。」

顔なんてとても見られなくて。
膝の上のコウさんのシャツを握りしめる。こんな時にまですがってしまいたくなって…ああだめだだめだ!
勇気を振り絞って、もう一度深呼吸。

「俺、に。…………………チョコの、作り方…教えてく、れませんか…。」

最後尻すぼみになって、聞き取れたかは怪しい。
しばらくじっと沈黙に耐えていたわけですけれども。
それでも反応がなくて、やはり失敗したかと意を決して顔をあげる。
すると、ぽかんと口を開けたマーマさんと目が合った。
あれ、なんか、おかしかったか?

「あぁ、バレンタインかぁ。にしてもコウ可哀想になぁ。この子相手だと相当…いやいや。」
「え、は、あ、え…。」

俺相手だとコウさんが可哀想…!?
俺なんかしたのか?!
あ、うっと…やっぱり俺みたいな、やわっこくて役に立たないガキじゃダメって…?

「あ、違う違うぅ。嫌な意味じゃなくてねぇ。そのぉ、ラブラブみたいで羨ましいなーって。」
「らぶ!?」

ずびっと啜りあげたところで、白い手が伸びてきて頭をかきまぜられる。
慰めてもらってまたまた情けない恥ずかしい…。
しかもラブラブなんて!! そんなことなくってだな、いや、俺は、ベタ惚れ…なんだけど!
その、コウさんがどう思ってくれてるかとか、よく、わからないし。
バレンタインに託けて、普段何も受け取ってくれないから。チョコくらいならもらってくれないかなって。
でも、男の俺なんかからチョコもらっても、嬉しくないかもだけど。
でもでも…!

「オレでよければー材料費で教えてあげるよぅ。だから泣かないでーオレが泣かしたみたいじゃないかー。」
「う、あ、ごめ。」
「ううん。でも、どうしてクエストじゃダメなのか聞いてもいいぃ?」

なんとか泣きやもうと目許をごしごしこすって、改めて目を合わせる。
やっぱり聞かれるかぁ。そうだよな。
便利な世の中になったもので、少しの材料とお使いをこなせば、料理ができない人でも簡単に名前入りのチョコが作れる機会が用意されていて。
冒険者はのんびり料理なんてする時間も場所もないこともあって、わりとそれが一般的なんだけど。
あぁあとは露店で買うのかな? 可愛くラッピングされたやつとか。

「あ、うんと、名前が入ってないのが、よくって…。」
「そぉなのぉ? 名前入りのがコウ喜びそうだけどなぁ?」

う。そ、そう俺も思うんだけどさ!
えっとだってそうしたら…ね。

「その、他の…世話になった人、とかにも渡したく…って。それだとその…。」
「あぁわかったー。名前入りを皆にあげちゃうとスネるよねーってことかぁ!」

そうそうそうなんです!
なんとか絞り出した台詞を根気強く聞いてくれて、マーマさんはなんていい人なんだろう。
すいません。社交性がなくてすいません。
しかも最後まで言えなかったのに、察してくれてありがとうございます。
そういうわけなんです。
コウさんのツボがいまいちわからないから、その辺俺より付き合い長いマーマさんに聞いた方がいいかなと思ったのもあるんだけど。
一番の理由はこれです。
そんなことでスネないと思うけどね。でも念のため念のため!

「んじゃーどんなのにしよっかぁ。たくさんあげるなら量産が楽なチョコクッキーとかぁ?」
「えっと。じゃ、それと…。あとあんまり、甘くないの…も。」
「…コウ甘いの大好きだよぉ?」
「え、う、のあ。」

もちろん知ってるよねという顔で聞き返される。
知っていますともそのくらい!
だから、コウさんのは甘いのと名前入りのを作って、そんで…ね。

「あ、深く聞いちゃダメなことぉ?」
「いえ…そんなこと、は…。」
「なんかわかんないけどー、わかったよぅ。甘いのが苦手な男の人に、特別にあげたいってことだよねー。」

なななんで男だってバレた!?
てか、そういう言われ方をすると! 反論できないんですが…。
こう、口実がほしくてですね。いい機会かなって思って。
受け取ってくれるか、怪しいけど…ね。

俺がまごまごしてる間に、洗濯物の山はすべて畳まれ分類が済んでいた。
あとは隅の別の籠に移しておけば皆勝手に持っていくだろう。俺もあとで二人分運んでおこう。

「それじゃ買い出しから行こっかぁ。」
「あ、は…い。お願いします。」

察しがよくて深くは聞いてこないあなたが。
ありがたい反面、底が見えなくておそろしいです。

どこから取り出したのか、かえるさんの形をした大きなお財布を首からぶらさげて、マーマさんは玄関の方へと歩いていく。
お、置いて行かれる!
大きな歩幅に合わせるよう小走りに隣に並んで、ニコニコ楽しそうな表情を見上げる。
…あぁっと……その…。


変なふうに、誤解されてないといいな!

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