甘熟甘懐。

家出息子(1/5)

額に硬いものがぶつかった感触で目が覚める。
自分が誰で今どこにいて何をしているのか、そんなことをぼうっと考えている間に背中を抱き寄せられ胸と腹が圧迫される。
もう一度額に擦り寄られたところで、ようやっとここがコウさんの部屋で、コウさんのベッドの上で、コウさんの腕の中だということを思い出した。
昨晩は確か最後気絶させられたところで記憶が途切れているので、今抱きあっている体が裸であっても不快感がないのは…後始末されたからですかぁそうですか。

この体勢は安心できて好きなのだけれど。顔が見られないのが不満だ。
なので少しだけ下の方へずれて、それから思いっきり上を向いてみる。ギリギリ口許に頭突きしなくて済んだ。
しっかり閉じられている瞼に意外と長い睫毛。ぽかりと開いた口からは時折むにゃむにゃと言葉にならない寝言が漏れる。
あまり人前では眠らないらしく、以前ぽろりと寝顔が幼くて可愛いと呟いたら、目敏い女ローグさんたちに囲まれる破目になった。
こうして無防備にいてくれるのが俺の前だけだと思うと、嬉しくてそれから照れくさい。

「そういや今日は非番だって言ってたな…。」

休みの日となると気が緩むのか、いつもの早起きが嘘のように寝坊すけになるコウさん。
機嫌良く俺を抱きしめた体勢のまま、夕方まで眠っていたことすらある。俺は昼前にそこから抜け出したけどな。
構ってもらえないのは少々寂しい気もするけれど。
毎日のように世界中を飛び回っている多忙な人だ。休めるときに十分に休んでおいてほしい。

少しの間だけ厚い胸板に擦り寄って、甘える。
その刺激に無意識のうちに腕の中へ閉じ込められてしまう前に、足元までいっきに体をスライドさせる。
ふ。俺も慣れたものだな…。
ひょっこり毛布から顔を出しミッション完了とばかりに汗が垂れてもいないのに額を拭った。
そのままジャンプして飛び降り、ふらつく足で着地する。
ベッドの脇に散らばっていた制服を身に着け…ってなんかトランクスが見当たらないんですが。

「あ、ちょ…!」

でへへとエロい顔で笑いだしたコウさんの右手に見慣れた青い布。
人の下着握りしめて寝るなとあれほどー!!!
…ええそうなんです。常習です。毎度真っ赤になって怒る俺を見てまたさらに楽しいらしい。趣味悪いぞごるぁ。
しょうがないので拳の中に人差し指をねじ込む。なぜかこうするとふっと力がぬけるので、あとは引っ張り出して皺伸ばしだ。

よしよし。狩りに出てしまおう。
そうすれば音を立てて起こしてしまうこともないし、起きてきたコウさんに押し倒されてさらに疲労させられることもない。
俺はまぁ…いいんだけどさ。次の日向こうがしんどくて仕事に支障が出たら申し訳ない。
だから、こんな甘えたな俺とは、離れて過ごした方がいい。

コウさんの服も畳み、枕元にそうっと置く。
…ついでに、すうすう気持ちよさそうに幸せそうに眠る顔をしばらく観察して。
最後に少しだけ。と、愛しい恋人にささやかなキスを送った。


外は生憎の空模様。雨こそ降ってはいないものの、灰色で分厚い雲が画面いっぱいを覆い隠している。
温かいスープで朝食のパンを流し込みながら、つい溜息が漏れた。

「今日も狩りへ行くの? コウ拗ねない?」

こんな天気なんだから久しぶりにゆっくりすればいいのに。そう付け加えられて苦笑する。
大の大人がそんなことじゃー拗ねませんて。
昨日きっちり付き合ったし、最近また休みを減らされたってぼやいてたし、たぶん行って帰ってくる間ずっと寝てるだろうと思う。

「追い付きたい、から。」
「付き合おうか?」

頑なな俺に寂しそうに笑って、それでも手伝ってくれると優しく言う。
寮にいるほとんどは皆仕事持ちで。だからこそレベルが高い人ばかりだ。
ギリギリ組める人がいなくもないが、その人たちもすぐ離れていってしまうだろう。

「あり…がと。でも、自分のペースで、やる。」

狩りの合間が居た堪れないのもある、だけど。
仕事ができない俺をこうして住まわせてくれて、食事まで用意してくれる。
恩返ししなくてはならないことばかりなのに、これ以上足を引っ張る真似なんてできるはずがない。
スープをぐっと飲み干して、トレイごとキッチンへと運ぶ。
そのままの足で立てかけていた弓を装備して、玄関へと歩を進めた。

「…そう。じゃあ、気をつけてね?」

時計なら…室内で雨が降ってきても心配ないし、いいかな。
まだちょっと不安要素はあるけれど、怖がってばかりもいられない。
共用リビングにいた人たちが一斉にこちらに手を振ってくれるものだから、照れくさくなって目線だけで振り返り会釈する。
回復がちょっと心許無いな。カプラに寄ってから出掛けよう。

と、そこへ久しぶりに聞いたチャイムの音が響き渡った。

言われてみれば握ったドアノブの向こう、誰かの動く気配がする。
ここは人の出入りが多いから、深夜でもないと施錠されない。ローグさんたちはもちろん慣れたものでチャムなど鳴らさず帰ってくる。
じゃあこれはお客さんだと言うことで。
俺が応対してもよいものか迷って視線をさまよわせていると、珍しいわねとその場で数人が立ち上がった。
それでもこちらへ移動してこないと言うことは、俺が開けてもいいって…ことかな?

「は…い。どちらさ…。」

人見知り全開で恐る恐るドアを開く。
咄嗟に目線を落としたので、視界には黒地に金縁の刺繍しか入らない。
大きな靴が、入室しようと歩きだしたところでぴたりと止まる。

「…? ハンター?」
「あ。あ、の。」

しまったすっかり忘れていたけれど。俺ローグじゃないんだった! いやそうじゃなくてだな。
ここはもうほぼ自分の家だという意識がどこかにあったんだろう。
普通に開けてしまった。ダメじゃん。そら初対面なら吃驚するのは当たり前だ。だってここは“ローグギルド寮”なのだから。

「我が物顔で客を迎え入れるとは…何だ君は。」
「あ、す、すいませ…。」
「用が済んだのなら帰りなさい。ここは君のような子どもがいていい場所ではない。」

思わず見上げたその瞳はどこまでも鋭く、それだけじゃない、俺を見下してさえいる。
対人恐怖症の上にオッサンの年齢以上の大人とは会話した機会すら乏しい俺は、現状にパニックになるより他ない。
おおお大人怖い! しかもすんげえ子ども扱いされたし。一応この前成人したんですけども…? 童顔かー童顔が悪いのか!

「え、あっと、その、俺ここに住…。」
「君の身の上話になど興味はない。どきたまえ。おい誰か他にいないのか。」

押しのけられ首を竦めながら後ずさる。
思いっきり馬鹿にされている気もするが、恐怖が先に立って怒りという感情はなかなか湧いてこなかった。
うん…もう情けなくていいよ…この人怖い。係わりたくない。

「お、お久しぶりです。」
「何だいるじゃないか。私の言いたいことはわかるね?」

ローグさんが一人歩み出てきて愛想笑いをする。
皆の顔が一様に引きつっていることには、どうやら気が付いていないらしい。
招かれざる客なわけですね。把握しました。
どうやら子どもでハンターな俺は第一印象ですでに眼中になしと嫌われてしまったようだから。
いいやもう、後は任せて狩りに出ちゃおう。

「ケイ。コウを呼んできてくれるかな。」

フードを掴まれ、しぶしぶ振り返った先。
苦笑いしたローグさんが、そっと階上を指差していた。


どうせまだ寝ているだろうと踏んで、一応したノックの返事も聞かずに扉を開ける。
そこには朝出て行ったまま、毛布が盛り上がって寝息を立てているだろうと思っていたのだけれど。

「あ、起きてたのか。」
「ん…。」

ベッドの上に座り込んではいるけれど、俺を見る目はいつもの半分。
目許をごしごしやりながらこちらを向いたその姿に足早に近づく。
何の用なのかわからないが、何やら気の短そうな人だった。
待たせていては対応しているローグさんたち相手に愚痴り出しそうな気がする。
つかあれコウさんの客ってことで、いいんだよな…?

「起きられるか? 客だよ。プリさん。」
「…なぜ服を着ているんですか。」

ダメだ全然目覚めてない。
ぼんやりとしたまま背中に腕が回され、毛布の中へ引き込まれる。
温かい頬に擦り寄られて心地よさに酔いそうになるが、何とか引き剥がして向かい合う。
緋色の瞳がやっと全開になって、ぱちくりと瞬きをする。

「狩り行こうと思って。それより、客。」
「せっかく脱がしたのに…。」
「コウさん! 客だってば!」
「…。うるさいですね…。聞こえてますよ。」

どうやら聞かなかったことにしたかったらしい。
眉間に寄った皺を親指で撫でて平らにしてやる。それでも不機嫌そうな表情は崩れなかった。
腕の中から半分抜けだし、今朝畳んで枕元に置いておいたものを持ち上げる。
一つ一つ手渡し身に着けるのを見届けてさらに情報を付け加える。

「オッサンよりずっと歳いってるプリさん。」
「年上のプリーストの知り合いなんていくらでもいますよ。」
「ブロンドの髪で前髪がうっとおしそうだった。」

あと、すげえ嫌なヤツだった。とは、心の中で付け加える。コウさんの親しい人だったら悪いからね!
俺を抱きしめながら器用に着替えていたコウさんの動きがぴたりと止まる。
不審に思って見上げると、なんだかとても浮かない顔。
あれ。コウさんも苦手なのかな? ローグさんたちも戸惑っていたようだったけど。

「っん…。」

首を反対側へ傾げたところで、唇を塞がれた。
ベッドの上で、しかも客を待たせているというのに、容赦なく絡め取られる。
震える手で目の前にあったファーをぎゅっと握りしめると、背中に回った手に力がこもった。
一度角度を変え、深く口づけ直されてからようやっと解放される。

「ふぁ…?」
「ここで待っていなさい。いいですね?」

真剣な瞳がそれだけ言い置き、珍しく焦った様子で階段を駆け下りていった。
…一体なんなんだろう、あの人は。

「…ふぅ。」

うーん。
おかしいな。

なぜだか急に、寂しくなってきた。
さっきまでそばにいたし、一階まで降りれば顔が見られる。
昨晩いっぱい愛してくれたし、今朝だって離したくないとばかりに抱きしめてくれた。
なのになんで、こんなに胸が苦しいんだろう。
待っててもいいって。ここにいろって。言われたのに。
どうして不安になるんだろう。

深いキスと、残り香と、座り込んだベッドから伝わるぬくもり。
慌てて立ち上がって毛布を脇へよけ、乱れたシーツを引っぺがす。
もう寝ないのならこのままにしておかなくてもいいだろう。うん。このままにしておくのは、いろいろまずい。
ここでじっとしてるから、嫌な考えが浮かぶんだ。
なんだか泣きそうになるのだって、その所為だ。

共用風呂に誰もいないことを確認し、シーツを持って入る。
タライを転がしてきて湯を張って、種類のある洗剤から適当に一つ選んでぶっこむ。
あ、ちょっと量多かったかな…。しゃがんでごしごしもみ洗いすると、泡が顔や体に降り注いできた。
最近マーマさんにひっついて家事のお手伝いとかやらせてもらってるんだけど。
まだ勝手がわからないなぁ。

「いつ…終わるのかな…。」

待っていなさいと言われたからには、狩りに出ちゃいけないんだろう。
正面玄関から出るには、共用リビングを通らなくちゃいけないから…裏口じゃないとバレるな。
別にどうしても行きたいわけじゃないし。
なんか…コウさんに甘えたくてしょうがないから、今…。
大人しく待ってようかな。

ぶぶぶっと尻の後ろが震えている。
長いな…耳打ちかな。でも今手が泡だらけなんだ。出られない。
ちょっと待ってーと誰も聞いていないのに、ケイタイへ向かって返事をした。
…独り言が多いのは、暇だからだ。
別に寂しいわけじゃないぞ。ほんとだからな!

――不在着信、一件です。

洗濯機にシーツを放り込み、スイッチを押した手を洗う。
ごうんごうんと回り出した洗濯機の隣で。
耳にケイタイを押し当てたまま、俺は数分間硬直する羽目になった。

――すいません。仕事が入りました。

窓の外。
俺の心情を代弁するかのように。

――いい子で、待ってるんですよ?

黒い雲が涙を流し始めた。

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