甘熟甘懐。

兄弟痴話喧嘩 case1

本気で出て行きたいわけじゃない。本当なら、ずっと傍にいたい。

「兄貴。俺、一人暮らししようと思う。」

口以外の全身が、瞬時にして固まった。


ども。俺の名前はチナツ。二十歳のナイトで、それなりに高レベル。
好きな食べ物はチキンライスで、最近嬉しかったことは、兄貴の背をちょっぴり追い抜かしたこと。
そして今正面で、口をパクパクさせているのがその兄貴のチハル。二十五歳のごついパラディン。好きな食べ物は、たまご焼き。
…弟の俺が言うのもなんだが、容姿はわりと整っている方だと思う。よく女に告白されたって話も聞くし、モテるんだと思う。
たぶん、男にも。
えっと、まだ硬直したままだなー。
仕方ないのでもう一つだけ情報を。

その…俺は。
兄貴を、愛している。

兄弟愛じゃないぞ。恋愛感情。それも、抱きたいって思ってる方の、愛してるだ。
兄弟でそんなとか、そもそも男同士だろうとか、そんなのはいいんだ。
ここに至るまで随分悩んできたし、それでもどうしても諦められなかったから。
今ではもう否定する気は起きない。否定したって、膨れ上がるばかりだから。
だから。だからこそ。
兄貴と二人で住んでいるこの家を、出て行こうとしているわけで。

「おっ…。」

やっと現実世界に帰ってきたか。
くしゃっと顔の真ん中にパーツを集めて、潤んだ目が俺を捉える。
おってなんだ、おって。

「俺のっ…。」

俺の?

「俺のチナツがっ。俺の可愛いチナツがあああああ!」

ぶわっと滝のような涙がその瞼から放出されたと思ったら、そのままでっかい体のいい大人が、玄関の扉を突き破って逃走してしまった。
あーまた修理に出さないとなー。せめて扉は開けて出てくれよなぁ…。
…っておい。
ちょお待て!

「なっ…兄貴!? おま、近所迷惑考えろー!!」

俺の名を叫びながら走るんじゃない!
なんでこう暴走すると手に負えなくなるかな。
それでも兄貴かこのヤロウ。弟に世話焼かしてんじゃねえよ。

でもまぁほおっておくわけにもいかないので、追いかけることにした。
誰にも迷惑…かけてないといいなぁ。


惚れているのなら、「俺の」なんて言ってもらえれば嬉しいだろうと疑問に思われるかもしれない。
だが、兄貴のそういう言動には、家族愛以外にこめられている感情はない。
俺は悲しいことにその域を飛び越えてしまっているが、兄貴の方は若干暴走気味ではあるものの、ただブラコンに属しているに過ぎないんだ。
だから抱きしめられもするし、擦り寄られたりもする。
帰りが遅ければ心配もされるし、こうして泣かれてしまうこともある。
そういう一つ一つが積み重なって、俺の中で後戻りできない感情にまで育ってしまったわけだが。
兄貴にはもちろん、そんなつもりなんて微塵もないだろう。

少し前までは、それでも純粋に幸せだった。だって誰よりも長く傍にいられる。無償の愛を与えてもらえる。
だけど、それは兄貴が他の誰かを選ぶまでの、ようは繋ぎであるだけで。
それに気付いた今では、どうしても自分の感情を抑えきることが、できなくなってしまった。

「うえええん。ふおおおおん。」

たとえば、こんな時。
プロンテラの街をただ闇雲に走っていただけかと思いきや。
追い付いてみれば、兄貴の足はただ一人の男の下へと向かっていただけ。ということに気付いてしまった時。
首のあたりに巻きついて、周りのことなんかお構いなしに泣き叫ぶ兄貴。
それを嫌な顔で溜息をつきながら、それでも慰めようと背中を抱いてやっている…分厚い鎧の男。

「チナツがああぁ。俺の可愛いチナツがあぁぁ。家出するっ…て、捨て…られ…っ…!」
「その可愛い弟が迎えにきたようだが。まず離れろ。暑苦しい…。」

何度か会話をしたことがある程度で、深くは知らない。
名前が似てるよな、俺ら。と兄貴からナンパしたのだと聞いた。
職場の同僚で、半分相方みたいになっていると紹介された…パラディンの兄さん。
それに最近、もう一つ大事な項目が追加されたようで。
たぶん、二人は恋人同士。
こうやって公衆の面前でいちゃつきもするし、兄貴が聞かせてくれるのはこの人の話ばっかりだし、ほぼ間違いない。
ちくん、ちくんと胸の奥が疼く。
ぎゅっと、痛い力で締め上げられる。

「ひーどーいー! ヒロは俺のこと嫌いなんだー! ヒロも俺のこと捨てるんだ…。」
「捨てる気はないが、それより泣きつく相手はあっちじゃないのか。」
「ううっ…チナツ…。」

でかい鎧男が二人抱きあって。
何やってるんだか…。
そうやって必死に呆れているように見えるよう演技をする。
内心はもうズタズタのボロボロだ。
俺の方が泣きたいよ。
何で俺、追っかけてきちゃったんだろう。

「ち、なつ? チナツ…俺の、こと…嫌いになった?」
「…。兄弟だろ。嫌いになるわけ…。」

お互いの体を離し、兄貴はこちらにくるりと向き直る。涙は止まったのか、代わりに目の周りが赤くなっている。
少しだけ低い目線に合わせようとすると、上目遣いで見つめ返された。
大好きだよ。愛してる。
こんなに決定的な場面を見せられているのに、まだ諦めきれない。
まだ俺を。弟の俺を選んでくれるんじゃないかって…期待してしまう。

「じゃあなんで? なんで離れるなんて言うんだ。たまご焼きこげてるって言ったから?」

待て、何でこげてるって言われたくらいで家出しなきゃならんのだ。
新婚夫婦の痴話喧嘩か。
しかもそれ今朝の話だろ。理由が新鮮すぎるぞ。
まぁその…ちょっといろいろ考え事があってトリップしてた俺が悪いんだが。

「じゃれているだけなら私は帰る。」
「ち、違うぞヒロ! これは真剣な真面目な話だ! チナツに出ていかれたら俺どうしたらいいんだよ。どうやって生活すればいい?」

ずびっと啜りあげ、鼻声で後ろのチヒロさんを振り返る。
その振りかえられた本人は、呆れを顔中に貼り付けてこちらを見ていた。

ちくん、ちくん。
そうか。こうやって泣いてくれるのも、俺がいないと暮らしていけないからか。

転生職である兄貴だ。稼ぎはもちろん向こうが上。
でも仕事ができる反面、兄貴は家のことが一切何もできない。
すべてやってしまう俺に甘えているだけなのか、本当に不可能なのかは確かめたことがない。
だけど、今手を離せば。
確実に兄貴は人並みの生活ってものを、送れなくなるのだろうとは思う。

でもなんだ。そんならチヒロさんと暮らせばいいんだ。
彼は兄貴と違ってしっかりしているし、自炊もお手の物だ。
あいつの手作り弁当が羨ましいと、兄貴にせがまれて俺まで作ることになったのだから、間違いない。
ほら、ぴったり。
何の違和感もなく、二人のピースがあてはまる。

「彼は家政婦か何かか?」
「ヒロ! おまえ俺の弟に向かってなんてことを…!」
「おまえが今しがたそういう言い方をしたんだぞ? …まったく、おまえは本気でどうしようもないな…。」

キレた兄貴がチヒロさんに食ってかかる。
それを上手にいなした彼は、深い溜息を吐いてそのままスタスタと俺の前まで歩いてきた。
身長は兄貴と同じくらいなので、必然的に見下げるような姿勢になる。
あぁ、これが兄貴の惚れた顔。
俺には到底真似できない。冷やかで、静かで…とても綺麗な微笑。

「え…。」
「なっ…!」

そんな整った顔が近づいてきたな…と自覚した時にはもう遅い。
見た目よりしっかり筋肉のついた腕で、なぜか力強く抱きしめられた。
首筋に、チヒロさんの吐息がかかる。
なんだ。何が起こった!?

「ひどい兄だな。私のところへおいで。」
「…え、あ?」
「チヒっ…!」

至近距離で澄んだ瞳が細められる。
何がどうなってこうなった。
だって、兄貴とチヒロさんは恋人同士で…。でも今俺を包んでいるのは彼の腕で、でも、あの、その。

「ベッドでうんと可愛がってやろう。」

目の前の顔が不敵に微笑んだ。
彼のこんな表情を見たことがなくて…。
いや、そりゃこんな美人にこんなこと言われたら、動揺くらいするだろ。
首から上がすごく熱い。たぶん真っ赤になってしまっている。
吃驚しすぎて、何の反応も返せない。

「やろォっ…!」

がつんと骨と骨がぶつかる音がして、はっと我に返った。
暫く意識が飛んでいたらしい。
開けた視界に移ったのは、肩を怒らせて激怒している兄貴と、地面に転がって左頬を抑えている、チヒロさん。
あ、兄貴が…チヒロさんを、相方を…殴ったのか!?

「何をする。」
「そりゃこっちの台詞だ! ベタベタ断りもなく俺のチナツに障りやがって! 何が“私のところへおいで”だ。チナツが行くわけないだろ!!」

むっと眉をしかめてこちらを見ているチヒロさんと。
唾を飛ばしながら、俺を庇うように立っている兄貴と。

「誰がおまえなんぞに可愛い弟をやるか!」

話の展開についていけない。
なんつうことをオープンで叫んでるんだと、今すぐ兄貴の口を塞がなくてはいけないのに。
体が動いてくれない。
だって、今、兄貴はなんて言った?

「チナツをベッドで可愛がっていいのは俺だけだ!!」

全身の筋肉と言う筋肉すべてから力が抜けて。
俺はその場でへたりこんだ。


玄関の扉をとりあえず仮止めして、次に兄貴がとった行動は、鎧を脱ぐでもソファへ腰掛けるでもなく。
俺の口内へ、熱い舌をねじ込む作業だった。

「…んぅ。」

散々暴れまわって、それは唐突に抜け出して行った。
ゆっくりと瞼を持ち上げた先には、優しい笑顔。
欲情のこもった瞳で見つめられ、居心地が悪くなって、腕の中で身じろぎする。

「俺の可愛いチナツ。」

さっきから、兄貴はこればかりだ。
何かを確かめるように。かみしめるように。
俺の名前ばかり呼んでくる。

あの後、どうやってここまでたどり着いたのか、正直言ってほとんど覚えていない。
いくら兄貴の上背があると言っても、俺だってそれなりに重量のある体だ。運んでもらったわけではない。ちゃんと歩いて帰ってはきた。
えっと…それじゃ、チヒロさんは?
なんだか、ふっと笑顔を取り戻して、赤い左頬はそのままで、プロンテラの街並に消えて行った…ような気がする。
ということは。二人は恋人じゃあなかったんだろうか?

「抵抗しないんだな。食べちゃうぞ?」
「っぁ…抵抗、する。俺が、兄貴、を…。」
「こんなやらしい顔してるのに、上は無理だろ?」

なっ…兄貴の方がよっぽどエロい顔してるってのに!
主導権を奪還しようと手を突っぱねたり、首筋にかみついてやろうとするが、アナタ素早さ鍛えてましたっけ? と錯覚するくらいかすりもしない。
その間も兄貴は俺の鎧をがしゃんがしゃんと慣れた手つきではずしていき、俺の肌は徐々に外気にさらされていく。

「チナツ、兄ちゃんは家出なんて許さないぞ。」
「ぅ。兄貴、生活…できなっいもんな…一人じゃ。」
「俺もだが、おまえもな。」

え、俺も?
でもそれなりに稼いでるし、家事もできるし、俺なら一人暮らしは容易いと思うんだけどな。
一緒にしてもらっては困る。

「一人になんかさせない。こんな可愛い顔して、一体何人に目をつけられているやら。」

目をつけられてるって…お尋ね者ですか俺は。
ただのしがないナイトなんですけどね。恨み買ったりは…してないはずだけど。
薄い布の上から背中を撫でまわされて、ぞくりと熱が這い上がる。
なんだかとてもすごい勢いで流されている気がするんですが。
力が…入らない。

「違う。…まぁ、わからんでいい。今から、一生…俺から離れられない体にしてやるから。」
「…え!? あっう。ちょ、ちょま…。」
「嫌だよーん。」

兄貴待て。なんでこんな手慣れてんだ。
俺以外に今まで何人男抱いてきたんだよ。
っていうか、兄貴俺に何しようとしているんだ。
だ…抱こうとしているんだよな?
兄貴…俺のこと、そんな目でずっと見てたのか…?

「くそっ…あっふっ。ぜ、った…いひっくり返…す!」
「あっはっは。ムリムリ。お兄ちゃんにまっかせなさーい。」

不意打ちで足をかけられ、そのままリビングのソファに二人でダイブ。
いつの間にやら重い鎧を脱ぎ捨てた兄貴が、俺の上で不敵に笑っている。

なんだか知らんが、このまま大人しくヤられてたまるか!!
いつか絶対…襲ってやる。



―終―


あとがき。

ここまでのお付き合い、ありがとうございます。
弟を可愛がる兄貴パラディンが書きたくなって生まれた「兄弟痴話喧嘩」でございます。
楽しんでいただけましたでしょうか。

弟は鎧の似合う職業であれば何でもよかったんですが、クルセイダーよりナイトかなぁと。
ロードナイトでない理由は、可愛い弟を強調したかった…よりは趣味かもしれない。(ぉ

この二人のお話はこれでおしまいですが、もう一つ続きっぽいのがあります。
同じく兄弟もので「case2 プロフェッサー×パラディン」。
よろしければこちらもご覧くださいまし。

↑Page Top
inserted by FC2 system