甘熟甘懐。

体温依存(1/3)

半年ぶりに訪れた聖堂内にある第六会議室。
解散の号令の後、人のいなくなった部屋を見回し、溜息を一つ。
冒険者としては常に各地を飛び回り、それなりにここへは貢献してきたつもりでいるが、稀に来る正式な仕事の依頼は基本的に断るという選択肢が用意されていない。
任務の内容も、なるほど荒事が多く、内勤のプリーストたちには任せきれないものが多い。
さて今回はどこへ配置され、どのような職とパーティーを組まされることになるのやら。

常勤ではない私は、毎度資料集めから始めなくてはならない。
何せ半年ぶりの仕事だ。状況が様変わりした部分もあれば、記憶の彼方に忘れられている部分もある。

「ん。誰だ、こんなに積み上げて…。」

資料庫として使用されている部屋の一つへ足を踏み入れれば、常日頃の埃臭さ以上に空気が淀んでいる。
それだけではない。
天井まで聳え立つ本棚は、ほぼ空。代わりだとでも言いたげに、その手前に高さとして負けないくらいの本の山が築かれていた。
どこにいても気軽に手に入れられる本と、“持ち出し禁止”とラベル付けされている希少な本が同様に積み上げられていて、思わず顔を顰めた。
これは何かを探しているわけではない。
それこそ、部屋ごとひっくり返そうとしているに違いない。
それも、おおよそ大聖堂と係わりのない、素人の仕業だろう。

「誰かいるか。」

崩さぬよう、バランスを取りながら、着地点を探しつつ樹海と化した資料庫を進む。
確かに物音はするのだから誰かいるのだろうが、姿が見えない。
あぁ、これから面倒な資料整理という仕事が始まろうとしているのに、余計な手間をかけさせないでほしいものだ。
そんなことをブツブツ呟きながら、奥へと歩を進める。

「くしゅっ。」
「えらく可愛いくしゃみっすねー。」

慌てて手をあて押えたが、きっちり聞こえていたらしい。

「すんません。散らかってて。」

まるで自室へ人を招き入れたかのような調子で、目の前の本棚からひょいと顔を覗かせたモンクが、にかっと微笑んだ。
薄緑と形容するのが近そうなボサボサの髪がくすんで見えるのは、埃の所為か。

「散らかっているというレベルじゃあないだろう。整理のバイトか?」
「ご名答。初日なのにこんな広い部屋一人でやれなんて鬼っすよねえ。全部引っ張り出したはいいんすけど、訳わかんなくなってきました。」

それでも何が嬉しいのかにこにこ。
喜怒哀楽の他の感情をどこかに忘れて来たように、モンクはひたすら笑っている。
待て。お前元はアコライトだろう。
それなら授業の合間に資料庫を利用しているはずで。分類方法も同時に習っているはずだろう?

「あんま真面目じゃなかったもんで。すんません。」

照れたように鼻の下をかくのはいいが、その手は真っ黒だぞ。

「あーでも、だいたいどこにあるか覚えてると思いますよ。どんな資料をお探しで?」
「あぁいい。一応背表紙は見えるように積まれているようだから、自分で探す。」

ぐるりと部屋を見回したモンクの首に汗が伝い、思わず目を背けた。
これ以上、会話していたくない。
反射的に拒否の台詞を口にしていた。

「そっすか?」

そんな私にモンクは目を丸めたが、またにっかり笑って本棚の後ろへ引っ込んだ。
そのまま足音が遠ざかり、詰めていた息を吐き出す。

「…さて、二十五年前の…。」

気を取り直し。
走り書いたメモを取り出して、本の間を縫うように歩く。
何となくアルファベット順になっているのはありがたいが、それも中途半端なのかところどころ飛んでいるようで、信用できるか微妙だ。
ぱたんぱたんと本を開閉する、収納する音。
ドサドサと派手な音を響かせ、あちゃーと独り言を呟く声。
そんな一挙一動を無意識に追ってしまい、それに気付いては頭を抱えたくなる。
くそ、早く見つけて立ち去らねば…いろいろと持たない。

一冊目はわりとあっさり見つかり、少々背伸びをして上の二冊をどかせて取り出す。
二冊目はなぜか棚の中にポツリと置き去りにされていた。
そして最後、三冊目。

「選りに選ってこんなに下か…。」

腰に手をあて、睨んだところで状況は変わらない。
分厚い本が幾重にも重なり、その下から目当ての本が申し訳なさそうに顔を覗かせていた。
高さは私の膝あたり。対して山は私の頭上をはるかに超えて立ちはだかる。
上から取り除くにしても時間のかかりそうな…。
部屋にいるもう一人の足音が、本棚一つ隔てた向こうから聞こえる。
呼べば、頼めば、代わりになんとかしてくれそうではある。
初対面だが、なんとなくわかる。
だが、あれのそばに今寄るのは…危険だ。

見回しても、踏み台のようなものは見当たらない。
背が高いようだったからな、必要ないのだろう。
仕方ない。
ついと、踵を上げてみる。
手を伸ばせば、一番上に触れた。
よし、これでなんとか…。

突然鼻の奥に違和感が走る。
大きく息を吸ったのがいけなかったのか、むずむずと追い上げられる。
背伸びしたまま息を止めて、口が開かないように力を入れた。
だがしかし。
ダメだ。我慢がきかな…。

「ひ…くしゅっ。」

本に振りかけまいと咄嗟に下を向いた。
硬い感触に頭突きしてしまった所為か頭頂部が痛い。
涙目になりながら、顔を上げ再度手を伸ばそうとした、その時。
目の前に迫りくるのは“持ち出し禁止”ラベル。
分厚く大きな本ばかりで安定していそうだと油断したのが命取り。
攻略したかった本の山がぐらつき、崩れ始めた。

それもご丁寧に、私の方へ。

「うわっ…!」

圧力に負け、床に尻もちをつく。
勢いが凄まじい。後ずさろうともがくが…間に合わない。
こんなもの、支援プリーストの私に耐えられる重量ではない。
覚悟を決め、顔を背けて目を閉じ、衝撃を待つ。

「…ん?」

おかしい。
雪崩れた音から想像していたより、ずっと痛くない。
引き倒されはしたが、体に感じる重みは、どちらかというと柔らか…。

「おぉぅ…大丈夫…っすか。」
「お前…っ!」

恐る恐る閉じていた瞼を開くと、眼前に男の大きな顔。

「あ、ちょ、ま、足…感覚ないんす。今、動くんで、ちっとそのまま。」

思わず起き上がった私を焦ったふうに押さえつけ、震える腕で上半身を支えた。
私がかぶるはずだったほとんどの衝撃を、背中で受け止めたらしい。
己の上にある本を落下させながら首を持ち上げる。

「うぐっ!」

呻き声をあげて、離れると思われた頭が激しくぶれた。
額やら顎から、汗が滑り落ちてくる。
思わず、生唾を飲み込んだ。

じわじわ起き上がる体が、見上げられる位置まで動いた。
乱暴に髪をかきあげ、足元の本を散らして、ようやっとこちらを見る。

「お怪我はないっすか。あ、すんません。綺麗な髪、汚れ…。」

動けないでいる私を強引に引っ張り起こし、覗きこむついでに手を伸ばしてきた。
触れるか、触れないかの位置で瞼を閉じてしまったので、目の前の彼がどのような表情をしていたのか、見逃してしまった。
予想した感触がくる前に気配が離れ、不審に思って目をあける。
すぐ傍にいると思われた彼は、少し離れたところで足元の本を拾い上げているところだった。

「この二冊、っすかね? あとはどれを取ろうとしたんすか。」

目が合った途端、苦笑された。


時刻はそろそろ月も出ようかという頃。
ある部屋の前、いや、正確にはそこから少し離れた場所で、私は気配を殺していた。
扉は開け放たれているので、中の様子は少しならわかる。
昼間より、見える範囲では片付いているようだ。
睨むように観察していると、奥から出てきた黒い法衣が戸口で立ち止まった。

「本当に飯行かないのか? リーシェ。三日あれば終わるだろう?」

中にいる誰かに話しかけているらしい。
遠い声がそれに返事を寄越す。

「この塊までやっちまおうかと思って。明日んなったらどこまでやったか忘れてそーだし。」
「ははっ、ありうる。じゃあ切りのいいところで帰れよ? また明日なー。」

至近距離で聞いた、あの声。
まだいる。中にいる。
立ち去る法衣をやり過ごし、再度入り口を睨みつける。
名前はわかった。
さっきのプリーストとは、どういう関係だろう。

……。
おわかりかもしれないが。
明確なプランがあるわけでもない私が、ここでこうしているのには理由がある。
話せば幼馴染やギルメンに「引かれるだろうから、勘付かれないようにしろよ。」と呆れられるのは明白。
だが、どうしてもあれだけで終わらせるわけにはいかない。
なぜならば。

「っ!」

もうしっかり、体が味を覚えてしまったから。
思い出す度、全身が震えそうになる。
その度、ぎゅっと自身を抱きしめるように丸くなる。
目を閉じれば、あの光景が浮かぶ。
重なった体と近い顔と、汗の混じった体臭。
それから……覆い被されたあの瞬間に感じた…体温。

逃げ出すように後にした資料庫。
全力疾走で駆け込んだ無人の会議室で、高鳴る心臓を治めるのにどれだけ苦労したか。
結局整理もままならず、今日はもう帰ってしまえと腰をあげたのだが、気がついたらここにいたと言うわけだ。
重症だな。

もう一度、部屋の中を窺う。
入って、声をかけてしまおうか。資料を返すと言う口実もあることだし。
あのモンクのことだ、昼間と変わらない笑顔で迎え入れてくれるだろう。
少しだけ…会話できるかもしれない。
治めたはずの動悸が再開する。
思うだけでこれだけ苦しいのだ。顔を合わせればどうなるかわかったものではない。
でも、会いたい。
そしてできることなら。
またあの体温に、包まれたい。

長らく忘れていた感情に戸惑う。
今の自分を止めているのは、理性。ただそれだけ。
この最後の箍が外れてしまえば、外聞もなく飛びついてしまいかねない。
そうしてしまいたいと願っている自分もいる。
苦笑するしかない。
ここは職場なのに。これから暫く戦場に赴かねばならないのに。
最悪、嫌悪され、会話することさえ許されなくなるやも、しれないのに。

「あ…。」

うだうだ考えていると、資料庫から人影が歩み出てきた。
紛れもない、昼間のあのモンクだ。
飛びださなかった自分を心の内で褒めてやる。
大丈夫。まだ、冷静でいられる。

だがどうする。
声をかけるか。
いやでも何を言えばいい。
飯に誘うか。
しかし先ほど断っていなかったか。

日中閉じられることのなかった資料庫の扉が後ろ手に閉じられる。
取り出された長い鍵が縦長の穴に差し込まれ、かちゃんと辺りに金属音が響いた。
背丈に似合う、大きな手。
あの時手を伸ばせば、容易に触れることができただろう。
間近で感じた体温を、再度思い返す。
それだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
また、体が震えだす。

と、ちょっと待て。

「しまった!」

しばし目を離し、いろんなものに浸って幸せを感じていた間に。


愛しい人の後ろ姿は、夜の街並みに消えていた。

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