甘熟甘懐。

軟禁錠

いつも気持ちが逸る。
すぐにでも会いたくて、少しでも長くそばにいたくて。
大切にしてくれていると強く感じるのに、自分しか見えていないのだと信じているのに。
誰にでも優しい顔を向ける彼は、私を含めた世界のすべてを愛している気がしてならない。

「オニーサン今一人?」
「美人だねー。」

焦って近道など探さなければ良かった。
首都プロンテラ、騎士団が街の隅々にまで目を光らせているからこそそこに存在する必要悪…社会の死角。
真昼の太陽光でさえ差し込まない薄暗い路地で、久しぶりに柄の悪そうな男二人に行く手を遮られた。
暗がりにはこのような変態が標準搭載されているのが常なのか。お決まりな展開に顔を顰める。
ただ一つ、片方に腰に細身の剣を携えるナイトを据えたことが唯一、イレギュラーではあるかもしれない。

「…急いでいる。」
「テーコーしなきゃすぐに終わるよぉ。」
「そそ。ご協力お願いしまーす。」

ここまでは清々しい程にテンプレート通り。
ただ運がいいのか悪いのか、ここは袋小路ではなかった。
男らの反対へ走れば、逃げられるかもしれない。
だが背中を向けたが最後、切りつけられないとも限らない。
こんな犯罪者の吹き溜まりのような界隈で、卑怯だという罵りが鼻で笑われ流されないはずがない。
どうしたものか。
舐め回すような嫌らしい目つきでこちらへと距離をつめてくる二人組に軽く溜息をつく。

十歳を過ぎる前から、この手の奴らに目をつけられるようになった。
美人だの綺麗だのは聞き飽きるくらい吐かれ慣れている。
そろそろ三十が見え始めた今となっては「またか。」と呆れてそちらを観察する余裕も出てきたが、幼い頃は駆け付けてくれた幼馴染の肩を借りて泣きじゃくったものだ。
…今までこれと言って大きな被害にあっていないのは、あの年下の割りに私よりも世の中をよく知る幼馴染たちのおかげだろうか。

「オニーサン、オスが好きなんだってねえ?」
「俺らメスが好きなんだけどさー。オニーサンなら食べられるかなって。」

ニヤニヤ黄ばんだ歯でねちっこい言葉を吐く。
どこから仕入れた情報かは知らないが、だからなんだと言うんだ。
女が抱きたいのなら、冒険者の私をここで追い詰めるより、そういう店で買い物をした方がよほど危険なく目的を果たせるだろう。
金がないのならば、それこそ私の知ったことではない。
それに、なんだ。
まるで「おまえで我慢しておいてやる」と言われているようで気分が悪いではないか。
おまえたちはそれで構わないのかもしれないが、私にだって好みと言うものがある。
泥臭い冒険者は嫌いではないが、二人組を一応頭頂部から足先まで順に値踏んでも、自分の中で買いだと閃かない。
そもそも一人を襲うのにペアと言うのも如何なものか。
ここまで真面目に今の状況を分析してやったが、やはり第一印象から遠く違わず、私の答えが変わるわけもなかった。
それに。

「下がれ。」

一陣の風が静かに人の形を成した。
私と男らの間に現れたそれが、鋭く言葉を放つ。

耳慣れない声。
たがその背は確実に私を守っていた。
…なんだ?

「なんなわけアンタ。」
「アンタもオニーサン狙い? 悪いがこっちが先なんでねえ。後にしてくれる?」

目の前に立ちはだかった者に一瞬怯んだ男達だったが、相手が自分達より幾分か背が低く体つきが幼いと知り、またニヤニヤと嫌な笑いを漏らし始めた。
だが件の後ろ姿は一ミリも動揺を見せない。
目の前に現れていなければ気付かないだろう、言葉を発していなければ存在を気取られないだろう。
そのくらい、その背はさりげなく、闇の一部であるかのようにその場に溶け込むよう佇んでいた。
空気を震わせる兆しも見られない。

「失せろ。」

これ以上告げる意味はないと声音が語る。
それがそのまま合図となり、目の前で二対一だがまるで勝負にならない、一方的な戦いが始まった。


「大通りまでご案内します。」

足元に二体の死体を転がしたアサシンが振り返り、囁くに近い音で声をかけてきた。
一太刀ずつでそれぞれを黙らせ、カタールにこびりついた血を軽く振り落としてからそうしたのだから、時間にしてはほんの数分だったように思う。
あっと声を出す暇もなく、瞬きをしている間にすべてが終わっていた。
きっとこの二人とて今日のこの瞬間に自らの生が終わるのだと、数秒前まで想像すらしていなかったに違いない。
唖然とする私の返事も聞かず、彼はそのまま死体の傍をすり抜け、ゆっくりと歩き始めた。

「待て。」

再度こちらを向いた感情の読めない冷たい瞳を見つめ、しばし考える。

白に近い銀の長い前髪から覗く瞳は同じく色素が薄く、私を捉えているようでそのずっと向こうを眺めているようにも見える。
後ろ姿と声音から想像した通り、私より幾分年下のようで、とても今目の前で殺人を犯した人物には見えない。
だが、アサシンと言う職業に幼い頃より馴染みがなかった私が、なるほどこれぞ暗殺者と納得してしまえる理由は、存在がとても希薄なところにあるだろう。
確かに目に見えているのに、全く気配がしない。手を伸ばせば触れる前にするりと透き通ってしまいそうだ。
もっとよく観察してからと思ったが、あっさり答えは出てしまった。
こんな自身の持つすべての特徴を消さんとしている、特徴的な男は知らない。

「おまえは…なんだ?」

他に聞きようもあっただろうが、疑問としてはこの一言に尽きた。
誰なのかもわからないし、今の行動も理解しがたい。
私は彼を知らない。
彼が私を一方的に知っているようには感じられるが、だからと言って何のためらいもなく人前で人を殺めるようなアサシンに守られる理由はない。
今ここで返す刀で切り捨てられても、おかしくはないのだ。
だがそうとは続かず、そればかりか私を安全に元いた場所へ戻そうとしているように見える。

私の疑問は自身を晒した時から予想済みだったのだろう、特に驚いた風でもなく、ただずっとそうして生きてきたかのように淡々と返答を寄越してきた。

「…お答えできません。」

もう一度促すよう目配せした彼は、私の行き先を知るような素振りで今度こそ静かに歩き始めた。


鳴らした呼び鈴を聞きつけ、三○一号室の扉が内側から開かれる。
特に確認もせずその胸に飛び込み、彼の匂いを胸一杯に吸い込んだ。
数週間ぶりのリーシェである。
男くさい、汗くさい、大きな背をぎゅうぎゅう抱き締めた。

「遅かったっすね。」

一瞬驚いた素振りを見せつつも、いつものことだと諦めがついているのか、軽く背を抱き返された。
背後でぱたりと薄い扉が閉まる。
思うのだが、背の高い彼にとってこの出入口は少し高さが足りないのではないだろうか。
毎度少し屈みながら、くぐるように使用していたなと思い返す。
ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべる彼をしばし上目遣いで見つめたが、首を傾げられ伝わらなかったようだ。
まぁ、そんなことは今はどうでもいい。

その高い体温に包まれながら、考えるのは先ほどの不思議なアサシンのこと。
遅くなった理由と言えばあの一連の騒ぎが原因なのだが、果たして今ここで言うべきか。
黙っていたとしても彼は大して気にはしないだろう。
だが襲われかけたと知れば、……知れば、何と反応を返してくれるのだろう。
常に本心が駄々漏れのように見えて、なかな腹を見せない男だ。悲しいかな皆目見当もつかない。
懐いていた胸から顔をあげ、柔らかく笑うたれ目を見上げる。

「なんすか?」

物言わず見上げ、目を逸らさない時はキス。
覚え込ませたのは私だが、思惑通り軽く合わされた唇に傾きかけた機嫌もたちまち直る。
すぐに離れようとするそれを追いかけて、自ら口を薄く開いて舌を誘った。

どこで覚えてきたのか、リーシェのキスは巧みだ。
激しい嫉妬に見舞われる時もあるが、これから先は私にだけだと強く言って聞かせている。
へらへら笑う彼はきちんとわかっているのかいないのか。
静かな部屋に水音を響かせながら、もう一度覚え込ませるしかないなと心の中で溜息を吐いた。

「すぐそこの路地で襲われかけた。」
「ほーそうなんすか。」

そのすぐ後に訪れた沈黙は、たっぷり二十秒はあったように思う。
瞬きするまつげは意外と長い。

「…えええええ!?」
「リーシェ。」

思わずと言った風に緩んだ腕に抗議の声を上げると、名を呼んだだけで察したのか、ぎゅっと抱え直された。
見開く飴色の瞳を見上げ、彼の二の句を待つ。
しばらくパクパクと開閉するだけだった唇から、はあああと大きな溜息が零れた。
首筋に擦り寄ってくる頬が今日も熱く心地いい。

「だから人通り多い道使ってくださいっていつも言ってるのに。」
「遠い。早く会いたい。」
「それは俺もそーですけど。喰われちゃったら意味ないじゃないすか…。」
「リーシェ。」

背伸びをして胸についていた両手を首の後ろに回す。
またもや察したリーシェが短くキスを落とし、軽々抱きあげてくれる。
その逞しい腕に安堵し、ベッドまでの短い距離を横抱きの状態で運ばれた。

私とて細身とは言えどそれなりに体重があるのだが、彼はそのことに抗議したこともなければ、抱え上げる瞬間ですら苦痛に顔を顰めたこともない。
同じ人間でこうも体の作りや筋力に差が出るものなのか。
ただ私はこの力関係にとても満足しているので、不思議には思えどさして気にしたことなどないのだが。

「あのアサシンは知り合いではないのか?」
「アサシン?」

ベッドに深く腰掛けた彼の膝上に座らされ、少しだけ下にある彼の顔を覗きこむ。
鼻頭にキスをしてから肩に顔を埋め、もっと密着したくて頭を抱え込んだ腕に力を込める。
背中を優しくあやすように撫でていた手が止まり、不思議そうな声があがった。
なんだ、違うのか。

「おまえの家を知っているようだったから。」

“大通りまで案内する”と彼は言ったのだ。
ならば通常、首都プロンテラの中で最も人通りが多くまたその路地からも近かった、誰もが知っている中央通りへと導くのではないだろうか。
だが彼は一般的なそこではなく、わざわざ少し遠い道まで誘導すると、私が路地を抜け出したのを確認してから忽然と姿を消したのだ。
なぜこの場所を知っているのか。
目の前に建つのはまさしく私の目的地、リーシェの住む少々古い集合住宅だった。
人の往来は確かに多くはあるが、ここを大通りと呼ぶ者はほぼいない。
驚いて思わず周囲を見回したが、そんなことをしても、再び本人が目の前に現れて懇切丁寧に訳を話してくれるわけもなく。
そして、現在に至るというわけだ。

「友達にアサシンはいっぱいいますけど。その誰かっすかねー?」

大して興味もなさそうに首を傾げて笑う。
抱え直され、今度はリーシェが丸くなり、私の肩へ顔を埋める。
襟の隙間から侵入した唇が素肌をなぞって優しく跡を残していく。
愛おしい息遣いに、熱い溜息が漏れた。

「…ん……。」
「今度会ったらお礼言わなきゃっすね。」

低く落された声音が耳元で囁く。
ぞくりと背中を這い上った快感に堪らず、傍にあった唇へ喰らいつく。
優しくあやすように舌先で口内を擽られ、このまま溺れてしまおうかと少しだけ考えた。

だが、ここは敢えて釘をさしておこうか?

「昔の男か?」
「…へ?」

僧衣を引っ張り、自ら後ろへ倒れ込んだ。
釣られて覆い被さってくる彼の耳元に、先ほどのお返しだとふっと息を吹き掛ける。
リーシェはただの馬鹿ではない。
私が勘付いたことに、彼もまた勘付いたのだろう。
強張った表情の垂れた瞳が、丸く見開かれていく。

「私に嘘を吐くとはいい度胸だ。」

これで法衣の合わせから進入してきていた大きな手が完全に止まった。
徐々に顔面が青く変色していく。
頬を伝った一筋の汗が、顎の先で今にも落下したそうに震えている。

今ので確信した。
あのアサシンは、十中八九彼の知り合いなのだろう。
“襲われた”と告げた私にリーシェは“礼を言わなくては”と言った。
ここにこうして無事でいるのだから、今自らの手で無事を確かめているのだから深くは聞かなかったのだろうが、“助けられた”とは一言も言っていない。
初耳では“アサシン”イコール“襲った相手”と取ってもおかしくはないはずだ。
大袈裟に驚いては見せていたが、リーシェはきっとこの展開を知っていたのだ。

「……そんなんじゃねえっす。」

まさかそんな男が私を守るわけがない。
正しく嫌味と伝わったらしく、上半身を起こした彼の口が尖る。

「では何故隠す。私が信用ならないか。」
「……。」

シナリオはどこまでが彼の作か。あのやりとりをどこかで見ていたのか。
元から未遂で済ませようとしていたにせよ、一度は私を危険な目に合わせる手はずだったわけか。
あんなチンピラ紛いの男らの命を犠牲にしてまで。
アコライトの上位職へついたおまえが。
こんなことをして何になる。
私を陥れようとしているのか。

リーシェの反応を逐一見逃さぬようその身を見上げながら、散々の逡巡を許してやる。
その普段は碌すっぽ活用しようとしない意外に皺の多い脳味噌で、どこまで私をごまかすつもりでいるのか。
困った風な瞳とぶつかったので、益々目を細め逃げ場のないよう睨み上げる。
と、観念したのかはぁと溜息を吐きかけられた。
…先ほどから気にはなっていたが、昼間からニンニクか。
私がくるとわかっていて何を食べているんだおまえは。

「今は言えないっす。」

言えない何かがあると言うわけか。
あのアサシンとの間に。

「いつなら言える。」
「…できれば一生言いたくないす。」
「…。」

再度きつく睨み直すとあわあわ汗をかきだした。
何も襲撃などしてこないだろうに左右を慌ただしく確認し、胸の前で人差し指を押し合ってみたり頭をかいてみたりしている。
こうして見ると本当に犬のようだな。

「誰が離れていいと言った。」
「あ…すいません。…機嫌直してくださいよ~…。」

まいったなぁと言いつつ、遊んでいた腕が再度背中に回る。
人の額に額を乗せ、目を閉じてうーんうーんと唸っている。
背中の僧衣を握りしめ、彼の返答を待った。
事と次第では軟禁してくれるわ。

「キースさんて信仰心強いんですっけ?」
「…モンクの台詞とは思えんな。」
「う…。じゃあじゃあ目の前で殺人が行われたわけじゃないすか。どう思いました?」

目の前の殺人? 思い切りのいい墓穴だな。
あれらの一部始終を知っていると。
なるほどな。

「あっ、しまっ…。」

呆れたように目を細めてやれば、またもやそれだけで察したのか息を飲んだ。
額から滑り落ちる汗の量が目に見えて増え、頬にはでかでかと“まずい”の文字が浮かび上がってくる。
わかりやすいやつだな。
えーとえーとと何度か呟いてみるが、短時間で良い言い訳は思い付かなかったようだ。

「諦めろ。おまえは私に嘘は吐けん。」
「むぅ…。」

なんだその面白くなさそうな面は。
おまえ本気で隠す気があるのか。

「ちなみに信仰心はそれなりだ。」

眉間に皺を寄せて黙りこんでしまった彼の頬をそっと撫でてやる。
何を隠しているかはしらないが、これは今追い詰めずともそのうち無意識に懺悔してくることになるやもしれない。
ならばこちらは待っているだけで事足りるか。
顎を伝い唇にまで指を滑らせると、親指をぱくりと咥えられてしまった。
熱い舌を一撫でし、静かに引き抜く。

「あれ、そうなんすか。なんか意外。」
「当たり前だ。」

額から離れ、不思議そうに瞬きする瞳を挑発的に迎えてやった。
私のことがまだきちんと理解できていないようだな。
おまえが何を思いどう行動しようが、私から逃れられるわけがないだろう。

「この世におまえ以上に優先すべき存在などいない。」
「ッ…。」

神とて例外にはならない。
当たり前だろう。
私がおまえを愛している、その事実の前には障害など何もないのだ。
おまえが望まずとも何度でも言ってやる。
脳に染み渡るまで、胸に刻み込まれるまで、何度でも。

「おまえが私を裏切ろうと見限ろうと地獄の果てまで追い詰めてやる。離してやるつもりはない。」

おまえが選んだ道だ。
おまえは私のもので、私はおまえのもの。
私の手を取り愛を告げたあの瞬間から、おまえの未来は決まっているんだ。
今更足掻いても無駄というもの。
監禁される覚悟は、いつでもしておけ。

「もっ……ぉぉおおお!!!」

吠えた声に不覚にも気を取られ、両手をまとめて枕元へ縫い付けられた。
なんだこの反応は。
予想できなかった。
目を丸める私にもう一度臭い息を吐きかけ、ぎらついた熱い視線を注いでくる。
腿に硬い灼熱が押しあてられ、またもや不覚にも動揺してしまう。

そうか。
おまえはこのくらいで怯む男ではなかったのか。
ここまで言えば頬を引き攣らせ、一歩引くやつが圧倒的に多かったんだが。
そうか。欲情してくれるわけか。
今、このタイミングで。
私の愛に、同じ重みの愛で以て応えようとしてくれているのか。

「すんません。話は後で! 限界っす…。」

私が心中で感動に浸っているなど露知らず、鼻息の荒いリーシェが乱暴に法衣の前を開いて切なげに眉根を寄せる。
黙る私に焦れたのか、ごくりと喉を鳴らして唾液を飲み込み、返事も待たずに胸元へ唇を落してきた。


何でも構わないが、とりあえず。
歯は磨いてこい。



―終―


あとがき。

ここまでのお付き合い、ありがとうございます。
やっぱり頭いい子受は表現が難しいなぁ「体温依存」続編です。
楽しんでいただけましたでしょうか。

この子らは他のシリーズと違って設定ばかりが先にできあがっているので、それに沿わせていくのがとても大変…。伝えたいことがたくさんありすぎて、全部を上手にまとめられていない気がします。今回のもこれでよかったのかなぁとちょっと不安。
モンクがちょいと怪しい感じですかね? プリーストは姫っぽいやつだってことが伝わってるといいんですが…。
伏線貼るのとかもすごく苦手なんですが、このシリーズでしかできないのでがんばって回収していきます!
お付き合いくださると嬉しいです~。

 
高菱まひる
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